医学部留年日記

医学部を留年中、その生活を綴る。

医学部を留年して、今更ながら振り返り

僕は、一浪して医学部に入学し今年の10月(現在4年生)に留年が決まった。

 

自分のために、それまでの経緯を書き記しておきたいと思う。

 

僕は、1~4年までギリギリの点数で定期テストを通過していた。

そのため、留年はなるべくしてなったように思う。

 

特に3年生に至っては、コロナ渦でオンライン授業が続き、テストもオンライン上で、参考書を用いながら受けることができたため、一切勉強をしなかった。

そのオンラインテストで、再試を受ける程、本当に勉強をしなかった。

 

僕は中学生の頃から、ゲームが大好きで、時間があればずっとオンラインゲームをやってしまうため、家では全く勉強が手につかず、カフェやファミレスで音楽を聞いたりなどしなければ勉強ができなかった。

 

今振り返ると、中学生の頃ファミレスで勉強して、そこで当時のDSやPSPなどのゲームをしなかったのは、対人戦のゲームができなかったからであったように思う。

一昔は、ファミレスにワイファイなどなく、導入されたのはここ2~3年の話である。

それ以前に、良い高校に行きたいという熱が強かったのだろう。

実際、PSPはもって行っていたが、勉強の支障になると思ったことはなかった。

PSPは一人で遊ぶようのおしゃれなゲーム(初音ミクDIEVA、モンスターハンター塊魂など)が多く、そこまで熱中しなかったのかもしれない。

 

 

高校生の頃も同様に、友人と毎日カフェなどに行き勉強をしていた。

浪人の頃は、毎日予備校のある名古屋のスタバに行き勉強をしていた。

その頃流行っていたゲームは第5人格である。

第5人格は面白く、そのころは弊害になるほどやっていた。

なぜ面白いかというと、対人戦だから。これに収束する。

たまにカフェで2時間ぶっ続けでやってしまうなど、まだしれたものであった。

 

それによって、現役の頃のセンター試験の結果は現役の頃は英語8割、数学4割、生物9割であった。

浪人後は英語9割数学6割生物8割とそれなりの成績ではあった。

 

結果的に、私立医学部に入学することは叶ったのである。

しかしながら、1年目から挫折を味わう。

 

周りにいる同級生たちは、東京のいいところ、私立の高校出身者が多く、やはり賢い。

入学当時はモチベーションが高く、絶対医者になるぞと思い、みんなよりも多く選択科目をとった。(実際は、みんなもたくさん取るのだろうと思ってたくさん取ったのだが、意外と規定通りの数しか取っていなかった)

しかし、成績は振るわず、いきなり120人中100番であった気がする、

そのころから、モチベーションが低下し、受かればいいやという考えになってしまった。

そんな考えだと、ギリギリの点数しか取れなくなっていき、100番台の常連になった。

 

そのまま、同じような生活を続け、このように留年するという結果になってしまった。

2年生の後期に一度モチベーションが回復し、大学の食堂内で10時まで残ったりなどして、勉強をしていた。

しかしながら、3年生からコロナによって家に引きこもる生活が続き、ゲームを毎日永遠とする日々になり、CBT(仮国試)のテスト期間も同様の引きこもり生活をして、不合格となり今に至る。